2018年11月3日。
今日が個展の最終日だった。初日に行って、これから作品として、このスペースを作る、といった発言もしていたので、行って見たいと思ったので、団地の展覧会から、バスに乗って、現地に向って、午後6時に終わってしまうから、焦って、汗もかいて、それから、パーティーだから、もしかしたらと思い、お菓子も買って、現地に着いたら、もうパーティーは終わっていた。
午後5時45分くらいだったから、仕方がないけど、おそらくは作家の知り合いと思われて、さらには、そこにいる人たちはほぼ全員が関係者で、しかも若いんだろうな、と思い、展示物を見たが、ダンボールで作られていて、そこに作者や、その娘さんがいないと、作品として成り立たないんだろうな、と思って、少しだけ見て、まだ食べ物などもあって、考えたら、用意したんだろうな、と、その手間を想像する。
あとは、30分後のトークショーに備えて、いったん会場を出た。近くの松屋で、においも考えて、生姜焼きでない焼き肉定食を食べて、汗をかいたので、着替えて、現地に向かった。
準備がゆっくりと進んで、そこでトークショーが行われるとは思えないくらいの狭いスペースだったが、イスも10個くらいは置けて、話は30分ほど遅れて始まった。
作家と、あとはゲンロン批評再生塾の同期の批評家が3人揃って、話が始まる。その中で、有地本人が、責任をとる事をしたい、と言った言い方もしていて、考えたら、実の娘とはいえ小学校1年生に担わせる役割としては、とても危うい部分もあるが、本当に他では見られないものだったと改めて思って、この時期で、このレベルの集客力だったから可能だったと思った。
もっと大勢の人が来るとしたら、もしかしたら子供の安全性みたいなものを指摘される可能性もあるし、聞いていて、母と娘という独特の関係については、極端な例としては語られているが、もっと広く深く語られていいのではないかとも思った。
有地の冷静さと熱さの両方があって、それでも通りやすい声と、しっかりと考えを伝えようとする情熱と誠意と、途中で他の人の言葉に耳を傾ける感じに可能性を感じる。その中で、批評家の独りが言った、震災をテーマにしていて、その加害者性を感じさせる作品は、政治的なものではないと、すごく珍しいのではないか、と聞いて、すごく本人も納得していたが、観客としては、こうした場合に「加害者性」という言葉を使うことに最初は違和感があったが、確かに「後ろめたさ」的な加害者性としてみれば、それはすごく納得がいくものでもあった。
最後の方で、マイクロポップでも甘くて、もっと生活そのものを切り出すようにしたい、という作家の発言を聞いて、楽しみでもあったし、これだけやった、みたいなところに神経がいくと、たとえば、うしろめたさを微妙に救ったり、といったところが減るかもしれないので、ちょっと不安もあったが、この人の学ぶ力みたいなものがちょっと見えた気がしたし、そのためにトークショーも開いたのだろうから、また見たいと思った。
居心地は悪かったのは、たぶん自分が美術関係者ではない、ただの観客で、それも圧倒的に年齢が上ということで、勝手に孤立感は感じていた。それは、ここのところ、いつも思っていることだけど、学校に行った時も最初の頃はそうで、同期に恵まれたおかげで、そういう気持ちが減って、楽しくなってきたのを思い出し、こちらからの努力がないと、無理に決まっていることも思い出した。ただ、切実で真剣でもあって、それがすごく気持ちはよかった。
(2018年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。