2022年5月10日
予定を変えて、東京ステーションギャラリーに行った。
その展覧会は、駅かどこかでポスターを見ていて、気になっている展覧会だったことに気がついた。
入場券を購入して、ロッカーに荷物を入れる前に、汗をかいたTシャツを着替えて、荷物をロッカーに入れて、持っていくものは、エコバッグに入れて、やたらと時間がぐずぐずとかかってしまったが、今日は、お客さんも少ないせいか、その作業もスムーズに進んで、3階から、と言われて、エレベーターに乗る。
藤田龍児
3階から、展示が始まる。
藤田龍児の絵が並ぶ。
絵を少し見て、プロフィールに戻る。
40代後半で脳梗塞で倒れ、右半身不随となり、右利きだから絵筆を持てなくなり、一時は絵をやめようとするが、左手で絵を描く練習をして、作品を作り始める。
この経緯だけで、なんだかすごい。同時に、失礼なことかもしれないが、期待も高まる部分があって、最初の部屋を見る。
抽象と具象の間のような、静かで、真面目な絵だった。
それが次の部屋で、まったく別人のような作品になったように思えた。
公衆トイレを主題にしていて、その前に女の子が座り、白い犬がいる。その裏にはラブホテルがあるような光景なのに、とても強く、何か感情に伝わってくるものがあって、それは、悲しさとか怒りとかだけではなく、それでも希望のようなものにつながるような気配までがある。具象的な絵で、技術的には決して高くないのかもしれないけれど、隅々まで必然と切実で埋まっているような気がした。
「公衆便所」(1989年)
白い質感が生々しい白いビルと、強いオレンジ色が印象的なビルが並んでいる作品。
「BUILDING」(1989年)
さまざまな生活が同じ建物に収まっていて、色の強さも感じるのに、印象としては静かさまである絵画。
「軍艦アパート」(1990年)
他にもありそうだけど実際にはないような場所が描かれていたり、ひらけた場所でも、少し不穏だったり、鳥の貪欲な生きるエネルギーがさりげなく表現されていたり、遠くに見える家並みに不安定さがあったりするので、ただの牧歌的な作品ではないのは伝わってくる。
1978年に左手で描くことを始めた、とプロフィールに書かれているから、その後、10年をかけて、自分のスタイルが完全にモノになったというような歴史なのだろうか。そんなふうに分析的に語るのは失礼なのかもしれないが、この1980年代から1990年代初頭。作者が50代から60代はじめの作品は、私にとっては、絶望の向こうの希望に思えて、今の自分の気持ちの状況には、とてもフィットしていると思った。
それは、もしかしたら、コロナ禍の今だと同じような感覚を持つ人が多いのではないだろうか。
その後、2002年に亡くなるまでの作品は、本当に牧歌的な印象が強くなる。
アンドレ・ボーシャン
「第一次世界大戦に従軍しましたが、除隊後に故郷へ戻ると、経営していた苗木農園は破産し、妻はその心労から精神を病んでいました。彼が本格的に絵を描き始めたのはこの頃のことです。それまで絵を学んだことはなく、しかもすでに46歳になっていました」。(チラシより)
その絵は、アンリ・ルソーのような印象だった。
ただ、苗木職人だったせいもあるせいか、植物や風景は、とても緻密に描かれていて、それと対照的に人物は、とても素朴なままで、そのことは年数が経っても、変わらない。
年月が経てば、うまくなりそうなのに、人物描写は、立体感や陰影の技術が上がったとしても、基本的に、特に女性は同じ顔に見えて、しかも、素朴な印象が同じだった。
それは、すごいことだった。
そして、精神を病んだ配偶者とともに暮らしながら、そして、おそらくはずっと介護のような状況でありながら、20年以上を過ごした、という。
それは、安直な想像かもしれないけれど、とんでもなく大変なことだったと思う。
その生活を成り立たせるために、絵を描き始めた部分もあったのかしれない。そうであれば、妻と一緒の時間を過ごすことも、どこかへ勤めに出たり、苗木農園で外で働き続けることよりも、屋内で絵を描いたことを選んだのかもしれない。
そして、妻が亡くなる1年前に描かれた肖像画は、その目つきの深さや複雑さも含めて、横顔ながら、すごくリアルで、これまでと、その後の人物画はずっと素朴さのあふれる絵画だった。ジャンヌ・ダルクさえも、どこかのんきさが伝わってくる。
それもすごいことだと思う。
ボーシャンの花の絵は、不思議な印象があるのは、どの花もこちらを向いているような気がして、どれも、同じような色と形の強さがあるように思う。それは、自然ではないのだけど、ただ、どの花も大事にしているのか。
それとも、どの花もこちらを向いているのは、あまり動けない生活を続けざるを得ないボーシャンにとっての、願望なのかもしれないと思うのは、あまりにも個人的なこじつけかもしれない。
藤田龍児+アンドレ・ボーシャン
「活躍した時代も国も異なる二人の作家ですが、その作品はともに明るい色彩にあふれ、花が咲き乱れる、牧歌的で、楽園を思わせる光景が描かれています。しかし、彼らは恵まれた幸福な環境で作品を描いたのではありません」。(チラシより)
二人とも、大変な状況の中で生きていたからこそ、描けた楽園で、もしかしたら、その願望の強さもあって、絵の強度を高めているのではないか、と思った。そして、どちらの画家も、まずは自分の気持ちを出して、少しでも楽にするために描かれている部分もあったのではないだろうか。
全く知らない二人の画家の作品が、とても心に沁みた。
「二〇二〇年に世界中を襲った新型コロナウイルスのバンデミックは、社会に大きなダメージを与えました。(中略)
こうした状況の中で、東京ステーションギャラリーでも予定していた海外展が延期となり、急遽代替の展覧会を企画する必要に迫られます。そこで学芸員それぞれが個人的に温めてきた素材を披露し合い、厳しい状況の中でも開催できる展覧会を模索しました。
アンドレ・ボーシャンと藤田龍児の二人展というアイデアは、こうした作業の過程で生まれたものです。手持ちの材料を机の上に並べて企画を検討していた時に、この二人の絵が響き合っているように感じられました。どちらの絵も、見ているとストレスにさらされた心が癒されるような気分になったのです。
彼らの履歴をあらためて調べてみると、重なり合う部分が少なくありませんでした。特に、彼らが困難に満ちた状況の中で、牧歌的で楽園のような絵を描いていたという共通点を見つけたとき、この二人の絵を一つの展覧会で展示し、一冊の本にまとめてみてはどうか、というアイデアが浮かんできたのです」。(図録より).
この展覧会の開催への過程自体が、二人のアーティストが作品を創り出すやり方と、とても似ているように思えた。
展覧会をゆっくりと見た後、図録も買った。
帰りは、八重洲口の大丸で、弁当を買って、帰ってきた。
とても充実した1日になった。
(2022年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。