アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

さやわか×西島大介。さやわか式☆現代文化論#23「西島大介とセカイは変わったのか」。2015.12.22。ゲンロンカフェ。

さやわか×西島大介さやわか式現代文化論#23
西島大介とセカイは変わったのか」。

https://genron-cafe.jp/event/20151222/

 

2015年12月22日。

「AKB商法とは何だったのか」という本を読んで、アイドルというものを歴史化した上で、これからの事を描こうとしている姿勢が、新鮮で、興味が持てて、もっと若いと思っていたら、40歳くらいで、それも意外だったが、いつもゲンロンカフェのトークショーで、この人の時は思った以上に人が集まらないということで、一度は見たいと思っていて、今回は少し迷って、見ようと思った。

 

「AKB商法とは何だったのか」。

https://amzn.to/3PMW3gt

 

 

 57人の定員で、自分が申し込んでから、全部で16人という表示。それは、とても少ない数字でもあるのだけど、そういう少ない時の方が面白かったりするのだから、ちょっとラッキーかもとも思う。この前は筒井康隆で、本当に満員だった。

 

 話は、午後7時には始まった。

 会場で買って、予習しようと思っていた本が始まる前はなかったので、現物を見ないで、話を聞いていて、それは後ろめたさもあり、最初は話している二人が、少し守っているような、なんだか少し遠くで話しているような感じがしていて、来ない方がよかったのか、などと思う時もあった。

 

 西島の、この「土曜日の実験室」という本は10年前の本で、そして、それから10年がたって、文庫化されて、ということだったが、その本の内容について、「これはゲンロンカフェだった」という言い方をしていて、それは、それだけ多彩で、多くの人には理解されにくいことをやっていた、という事だったのかもしれない、と思えた。

 

 マクロス7、という知らないアニメの話が出ていたが、ある意味での無意味な熱さみたいな話もして、そして、淡々と帰属意識がない、という話を西島がしていた。そのあと、こういう場所で話すのは、どうかと思うけど、人は集まりすぎるとよくない、という話をしていた。そうかもしれない。

 

 春日太一の映画「進撃の巨人」の批判(帰って来てから、ツイッターのまとめを読んだ。勇気が必要な、だけど、大事な行為だと思った)。

 

 その話を受けて、西島は、作者の魂が入っていない。最低だ、というような言い方にもなったかと思う。

 

 このあたりから、とてもクールに見えていた西島が、支えている気持ちが、魂といってもいいような、実は信じられないような熱さがあるのかも、と思い、今回の壇上にいる二人は、そこが共通しているのかも、と感じ、それがそうであれば、とても心強いことだと思えて来た。

 

 それは、さやわかの著書にもわかりにくいが、静かな怒りがあるという話になった。

 

 わかりにくい、という言葉が何度も出てくる。ただ、そこを変えてしまってはダメなのだ、という暗黙のメッセージが何度も出てきているようにも思えた。

 

 そのさやわかの静かな怒りというのは、たとえばアイドルとかいわゆるサブカルを書く人が、思い出話か、レジャンドばかりの話しかしない。そういうことへむかつきはあるかも、という言い方になった。

 

 西島が語った、さやわかのアイドルの本は、最後に「救いたい」というような控えめな欲望があって、そこに感動した、と話した。

 

 それを受けたさやわかは、仕事としてやっていない。収入があったら資料代につぎこむ。今年も残高が1000円以下で下ろせないときがあった、ということを言って、世直しと歴史を考えているらしく、それは、最後にサインをもらう時に聞いたら、ダメだったらくびをつる、という言い方で、覚悟を感じ、その覚悟が支えているのだと思えて、さやわか、という名前では想像しにくい、魂を感じた。

 

 そして、西島は、ネットで叩かれたりしている人は、半年前に違和感のある行動をしているとか、作者としてぜいじゃくだとか、本当の作家は、自分で作家と言わないとか、だんだんエンジンがかかってきて、話はどこまでも拡散し、すごく早い人だと感心する。

 本を買って、お二人にサインももらった。

 ミーハーで申し訳なかったのだけど、覚悟の言葉も聞けて、とても励みにもなった。

 

 

「土曜日の実験室」西島大介

https://amzn.to/3Ws7LiW