アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

映画『花筐』。2018.1.12。有楽町スバル座。

映画『花筐』公式サイト

https://hanagatami-movie.jp/

 

 

2018年1月12日。

 ここ何作か大林宣彦の映画を見て、これまですごさを分かっていなかった、申し訳なかったです、と思えるようなすごい作品が続き、それも映画の可能性はこんなにあったんだ、と感じるような圧倒的な経験にもなっていて、そうした期待があったので、今回もぜひ見たいと思っていた。
 
 そして、前回まであれだけの作品の質だったのに、今回は、スポンサーがつかず自主映画になってしまったといったことを知り、それも含めて見に行かないと、早めに行かないと、いつのまにか終わってしまうのではないか、そして、映画館で見るためには、どこか遠くへ行く必要もあるような気がする、といった予感もあったので、なんだか焦っていた。
 
 古くからある映画館。館内の案内放送が、おそらくはかなり昔のままで、とてもなつかしい響きのある声だった。ここのところかなりの頻尿で、約3時間になる上映時間になるので、たぶん1度はトイレに立つことになるので、席のとりかたも、気にしていた。それでも、けっこう場内は空いていて、それは、もっといっぱいになったほうが、勝手ながらうれしかったのに、とも思った。
 
 ぶー、という昔ながらの音で映画が始まる。いろいろな予告編が流れたあと、本編が始まる。明らかに合成と分かるような、つまりは映画の大きい画面が、手描きの絵のタッチを残したようなニュアンスがあるんだろうな、と思えるような、そして、テンポよく画面が変わって行く。それはあとで聞いたら、大林宣彦のデビュー作みたいな作り方だとも知ったが、それよりもその人工的な感じが、とても気持ちよくも見えた。
 
 テーマは戦争。それも、戦争に借り出される側の若者の映画。いつ死ぬか分からない。そこから逃れられない。そこにある若さというのは、本当に想像がしにくいくらいのやりきれなさみたいなものもあるのだろうな、とも思う。
 
唐津くんち」の祭りの山車は、今も実際にあるのだけど、大きいタイの山車とか、獅子舞の獅子の頭だけの色違いの山車とか、不思議なものが並んでいて、それも含めて、この世のものとは思えないような光景で、そして、お国のために、といった言葉が飛び交うが、本当に何かに追いつめられ、戦争開戦の時期のことで話は続いていき、当時でいえば、エリートでもある若者たちでもあるのだろうけど、それだけに、ずっとどこか投げやりいうか、どうせだったら早く始まってしまえば、というような気持ちもあったりする。
 
 ただ、日米開戦の12月8日に、ずっと肺の病気だった若い女性は死に、若者二人は海にとびこみ、そこから時間は今にまで、70年くらいとんで、主人公の一人が生き残り、という映像になったけれど、若いうちに、周囲が次々と死に、自分だけが生き残ってしまった、という感じで、それからの長い時間を生きてきて、考えたら、これだけきちんと戦争の時の空気とか、その時の若い人たちの気持ちとか、どこにも行けない感じとか、その中でも当然楽しもうとしていたりとか、そんなことを描いた映像は、たぶん、なかったのではないか、とあとになって思った。
 
 このところの2作は、映画の方法として、とても新しくて、意欲的で、映画の可能性を広げてくれた思いにさせてくれて、そうしたことをどこかでまた期待をしていたのだけど、今回は、何しろ、その描かれていたことが、とてもチャレンジしていたことだったのだと、少し時間がたって、遅いのだけど、分かった気がした。カタログも買った。すごい映画だった。
 
 
 
 
 
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