アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

映画「ダークナイト・ライジング」。2012.8.8。109シネマズ川崎。

ダークナイトライジング』サイト

https://warnerbros.co.jp/home_entertainment/detail.php?title_id=3645/

 

2012年8月8日。

 村上隆がやたらとほめてて、で見に行ったのは、おととしの「ノルウエイの森」で確かになんだか変な映画で、それがなかったら見に行かなかっただろうし、見て損はなかった。映像として、面白かった、というような見方もするようになったのは、それこそアートの影響が大きいだろうし、今、たとえば「ベルリン天使の歌」を見たら、どうなのだろう、などとも思うが、そういう見方ばかりの自分になっても仕方がないのかな、という気もしている。

 

 と思いながらも、バットマンのダークな感じは好きで、バットマンリターンズもけっこう面白かったし、ダークナイトもその質量が気になっていたので、どうしようかなと思っていたら、村上隆ツイッターでほめていた。うそがなくて、惜しみないので、信用しているから、見る機会があったら、と思っていたら、時間的にも、見られそうだったのが、今日だった。

 

 川崎の映画館に行った。

 

 画面が重かったというより、フィクションに決まっているのだが、ドキュメンタリーのような重量感のある画面で、その世界に流れる停滞感とか、ゆううつな重さみたいな気持ちが、こちらにもずっと届いていた。闇の中からあらわれてきた「悪役」(という言葉がすでにあわないが)の迫力はすごく、それはその生まれと育ちに、復讐や破壊を正当化するような説得力さえあり、その相手がとても強くて、バットマンはぼこぼこにされたりもする。再び登場したシーンなどは本当に決まっていたし、重みを感じるヒーローとして、そして、決して笑わない人として、ずっと出ていて、不安がずっと画面を支配しているような感じがして、それは、すごく、今の時代に、見ている側にもフィットするような気がする。
 

 何が魅力的だったんだろう。

 ずっと重く、不安な気持ちが続いているのに、画面は、とても刺激的だったりもして、そして、あれだけ設備が優れているのに、やたらと殴り合う、それも、ボクサーのようなパンチではなく、力任せに振り回す、というような粗い部分があるにしても、その重さは十分に伝わってくるし、ウソみたいな高性能の乗り物に乗りながらも、最初のバットマンシリーズのような圧倒的な安心感からは遠く、それでぎりぎり戦っているようにも見える。

 

 地の果てのような刑務所から脱出するところとか、最後に長く仕えていた執事が泣くところとか、ぐっとくる部分もあったし、そして、実は生きていました、というのも希望みたいなものもあるが、それは、これからも、誰かがバットマンシリーズを続けられるための、お仕事のようにも思えた。でも、映画館のスクリーンで見てよかった。やっぱり時々びっくりしたし、その世界に生きているような気持ちになったのも、今の時代の、今の社会が、映画よりも、なんだか凄い世界になっていることもあるかもしれない。

 

 ゴッサムといっているが、露骨にニューヨークで、いろいろとりつくろっている部分が壊れていく、という感じもあるし、なんだかすごい映画だった。理不尽が集ったような存在は、やっぱりカリスマになったりするんだろうな、と思った時に、村上隆が言っている宗教の誕生みたいなものに近いのかもしれない、とも思えたが、それは全面的に同意できることでもない。でも、見てよかったが、こういう映画がヒットするのは、すごく不思議な気もする。高揚感というよりも、ずっと押さえつけられているような気持ちがするのに。

 

 

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