アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

映画『監督失格』。2012.2.7。キネカ大森。

 

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2012年2月7日。

大森に着いて、久しぶりに町中でティッシュをもらって、それから、学生証を見せて、割引にしてもらった。
 

監督失格」。

 

 最初に、監督自身のややナルシスティックな語りから始まったので、違和感があったものの、林由美香という人が出てくると、その人にめろめろに好きだ、というのが露骨に分かるくらい、すごくきれいに撮っている。

 

 それは、日焼けのために着込んでても、酔っぱらって小便をしても、きれいな印象が変らないくらいで、かわいいな、と見ている人間にまで伝わってくるような映像だった。相手がかわいいし、若いし、もっと寛容になれよ、などと思っているから、実際のことは知らないのに、観客としては、監督側の気持ちには今ひとつのれないまま、時間は過ぎる。

 

 だけど、すごく好きなんだな、というのも分かる気もするが、同時に、自分が好き、という感情に酔っているようにも見える。と思ったら、自転車で東京から北海道の礼文島に行く、というのを映画にした時は、26歳だった林が、35歳直前に、また現れた時に、その映像が、違っていた。好きだ、かわいい。運命だ。というような、そんな思いこみが少し薄れた感じに映っているように見えた。それに、平野監督の声の質が学者のように感情と遠いところで話しているのが、気になった。

 

 そして、そんなことを思っている間に、35歳の誕生日に撮影するから、というような約束をしていたのに、部屋のチャイムを押しても出て来ない、というあたりから緊迫感が増していき、林由美香の母親もやってきて、そして、平野監督が部屋の奥で亡くなっている林由美香を見つける。だが、映像は、監督の弟子が玄関に置いたため、そこから母親が本当に悲しんでいて泣き叫んでいる映像を撮っていて、その心の痛みは、こちらまで伝わって来るようだった。

 ただ、その亡くなっている姿を監督は撮る事が出来ない。同時に、そうした時は、逆に感情的になれないのもしれないが、平野監督は冷静な話し方だった。

 

 それから、5年。

 その映像は、母親が、監督が娘の死に関わっているのでは、という疑惑から始まり、弁護士を通して、映像が封印されることになったのだが、使っていいよ、という許可が出て、この映画がスタートする。

 

 そして、そこからは、この映画の製作が難航した、というようなテロップが流れるが、最終的には、平野監督自身が、この映画を作ることには気乗りがしないのは、それを完成させることによって、自分が大好きだった女性と本当に別れなければいけないから、と気がついて、最後のシーンは、自分なりの葬式をする、ということで、夜に自転車に乗り、号泣しながら「逝っちまえー」と叫ぶところで終わった。勝手な観客の感想だけど、監督の覚悟のなさ、みたいなもので、モヤモヤして、家に帰った。

 

 だけど、インターネットで、ある女性の感想を読んで、気持ちというか視点は変った。こんな言葉だった。最期を撮れなかったのは、監督失格だと思うが、でも、こうして映画になったことで、林由美香さんという人のファンになったし、これからも増えていくでしょう、という言葉を見て、ああ、本当にそうだ、と納得がいき、そういう意味があったのだと思った。監督のことは、悪く言われても、この映画で、林由美香のことを嫌いになる人は少ないだろうから。

 

 時間が経つほど、監督は自分の、ダメなところも、ちゃんと出している、ということも含めて、やっぱり凄い作品だと、思うようになった。私小説、という感触はあるにしても。

 

 

 

「キネカ大森」サイト

https://ttcg.jp/cineka_omori/