思った以上に、興味深く、面白い本だった。
アウトサイダー・アートという言葉がよく聞かれるようになったのは、1993年の世田谷美術館 パラレルビジョン展以来だという。
「アウトサイダー・アート」という語には、様々な負の要素がつきまとっている。
それでも、そのことに対して、著者の椹木は、こう書いている。
行政のさじ加減で内実をいかようにも采配することが可能なアール・ブリュットよりも、容易には消せない負の痕跡を語の内に残した「アウトサイダー・アート」を進んで使うことから得られる効果のほうが、この領域でなされる創作について理解するうえで、当面はずっと重要なのではないかと考えている。
過酷きわまりない毎日を日常として生きざるをえない者ほど、実は文化を欲している。
そして、何人もの「アウトサイダー・アーティスト」について書かれている。
フェルディナン・シュヴァル 「理想宮」
一人の人間が作り上げた「迷宮」としてフランスに存在する建築物。それは、「シュヴァル」が石につまづいたところから始まったとされているが、その「つまずきの石」が、本当にすごく変わった形であること。また、シュヴァルの周囲の人たちが亡くなっていく中で、制作が続けられたことは、この本で初めて知った。
さらに、シュヴァルの「理想宮」と並び、アメリカの「ワッツ・タワー」についても述べられている。
それは、ロスの治安が悪い地域に建てられていること、さらには、「33年の孤独な作業」で制作されたこと。それに、「高度で幾何学的な建築構造」で、撤去の口実のために重い負荷をかけたが、びくともしなかったことは、この本で初めて知った。
強くて可愛い−—それがワッツ・タワーなのである。
そして、個人的には、今はなくなってしまった原美術館の常設の作品として、白いタイルの部屋を制作したジャン=ピエール・レイノーも、「アウトサイダー・アート」だったことも初めて知った。
レイノーは美術に関してはまったくの独学である。
最初、彼は自分がかつて庭師を目指したことの証明ともいえる植木鉢に縁いっぱいにまでセメントを詰め、真っ赤なペンキを塗って得体の知れないオブジェを仕上げるくらいしかできなかった。
水をふんだんに使う庭師にとって、拭き掃除や汚れを水で流すのがかんたんで、つねに清潔な状態を保てるタイルという素材は単に身近なものであるにすぎなかった
ただ、それが偶然「ミニマルアート」として、評価された、ということらしい。そして、それは、家づくりに集中していくことになるという。
家作りに集中するために離婚して独り身に戻った
常軌を逸した家への執着
銃眼まで備えて警備にあたったのはなぜだろう。従軍体験はレイノーにとって、二度と思い出したくない記憶のはずではないか。
しかしもはやかれにとってこの白い家の内部は、身を挺してでも守らなければならない、おのれの分身そのものとなっていた。
他にも、ヘンリー・ダーガー、田中一村、昭和新山の誕生から観察と計測を続けながら絵画としても残した三松正夫、「二笑亭」という奇怪な邸宅をつくった渡辺金造など、これまで名前を聞いたことがある人物に関しては、それまで気がつかなかったような視点を提供してくれて、また、自分にとっては知らない人も、新鮮な表現で紹介してくれている。
哲学者ハイデッガーがいうように、人間とは芸術の棲み家である。
そして著者は、アウトサイダー・アートを見る時には、自分の存在そのもので見るといった行為でないと意味がないのではないか、といった結論といっていい言葉を述べることになる。
「アウトサイダー・アート」を知っている、と思っている人ほど、読んでほしい書籍だと思う。もちろん、興味がある人にも勧められる作品だった。