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二人が話すということで、ケアのこと、利他のこと、そしてアナキズムにも広がっていったのだけど、でも、これまで思っていたアナキズムは、過激とか、革命といったことと強く結びついている言葉だったので、それだけではないことはわかった気もした。
それは、もしかしたら、書籍などで文章で触れただけでは、その全体的な印象はつかみづらく、そういう「理解」はできなかったと思うから、こうした対話の中で出てきて、それを聞いたことで届き方が違うのは分かった気もした。
さらには、安楽死や自由意志についてなど、その言葉の強さにとどまらないような、そこから、人の気持ちの豊かな揺れのようなことにまで話が及ぶと、複数の声のあることの重要さも伝えてくれたような気がする。
約2時間、ずっと話は続き、熱のこもり方も変わらずに、密度の濃い時間ではあった。
考え続けざるを得ないこと
そういう時間の中で、時々、ふと考え続けてしまうことがあった。
冒頭に近内氏が、小川氏の最新刊『世界文学をケアで読み解く』を読んだことについて触れ、「説教」がなく、背中を押してくれる作品、という言い方をしていた。
その「説教」というのは、「正義」のようなことで「すべし」になりがちで、それは、強制になって、ケアではなくなる、という話だった。
そのことと、臨床の医療従事者のことも出て、当事者と、共時者という話題にもなり、それがイコールではないのは分かっているつもりでも、もう少し広く現場のことについても、話を聞きながら考えてしまった。
介護の経験
自分自身は、家族の介護をしていた時、言葉を持てなかった。そんな余裕もなく、ただ目の前のことをするしかなかった。その中で、外の環境に対しての、その理不尽さに対して、何かを働きかけても、その存在を無視するように、聞く人もいなかった。
そんな経験もあり、自分自身も、介護者の支援が必要なのに、ほぼ存在していないから、その役割をしようと思って、資格をとり、介護者相談を続けてきて、10年目になった。
だけど、いまだに、介護者の心理について、あまりにも理解がされないのに、無力感と苛立ちも感じてきた。
それから、20年の間に直接、もしくは書籍などで触れてきた理論や論理など、「専門家」の発する言葉が、介護の現場を支える感じはしなかったし、むしろ、排除されるのではないかと感じたことさえあった。
それは、現場の狭い考えかもしれないが、かえって辛さが増すような言葉であることも少なくなかった。自分自身の理解力のなさや、ないがしろにされた怒りのようなものが、完全に昇華されていない未熟さもあるかもしれないが、ただ、上の方から、現実を無視して決め付けられているように思うこともあった。
だからこそ、こうしてケアの倫理などについて、もっと広く抽象的に考えてくれる人の言葉を聞いて、考えることで、もう少し届く言葉を自分を持てるようになるかもしれない、とも思っていた。
だけど、そうした現場での、自分を否定されるような経験をした人間の言葉には、おそらくまだ微妙だけど怒りもあるだろうし、とにかく「介護者の気持ちを理解しようとしてほしい」というような願いに近いことも、「正義」の言葉のように、そして、「説教」のように思われて、そして、その時点で、「聞かなくてもいい言葉認定」をされるのではないか。
そんな思いが抜けなかった。
専門家
これまで、個人的に納得がいくことを述べてくれた「専門家」も、もちろんいる。
ケアをすることは容易ではない。時間やエネルギー、財源を費やし、体力や決断力を奪い去る。それはまた、ケアをすることで効果があるとか希望が持てるといったごく素朴な思いに大きな疑問符をいくつも付すのだ。ケアをすることは苦痛や絶望を募らせ、自己を引き裂く。家族にも葛藤をもたらし、ケアのできない者やしない者とケアをする者との間に溝を作ってしまう。ケアはきわめて困難な実践なのである。専門である医学や看護の諸モデルが提案するよりもはるかに複雑かつ不確かであり、専門領域に限定されない実践なのである。というのも、わたしにとっては、ケアをすることの道徳的・人間的な中核は決して精神科医であり医療人類学者である自身の専門家としての仕事から得られたものではないし、主として研究論文や自分の研究から得られたものでもないからである。わたしにとってのケアをすることの道徳的・人間的な中核は、何よりもまずジョージ・クラインマンのケアをする第一の存在として始まった。自分自身の新たな暮らしから得られたのである。
『認知症の人を愛すること』 ポーリン・ボス
介護を担うあらゆる人にとって、それは、以前のままの愛する人を失い、それまでの関係が失せ、夜安らかに眠るという基本的な欲求を奪われ、夢と目標を失い、人生のその段階で当然得られるべき余暇の時をなくし、自分自身の人生を自分の手で思うように動かすできなくなることにほぼ等しいのです。この次々と訪れる喪失によって、介護者が弱っていくのは容易に理解できますが、外部の人間にはそれがほとんどわからないのです。
介護者にのしかかる言葉にならない負担の一つは、親類にせよ専門職の人たちにせよ、他者から下される判断ではないかと思います。たいていの介護者はこうした判断が、結果としてストレスが増すだけだと気づいています。診療に当たり、介護者からよく耳にしてきた言葉があります。それまでにあまりにもたくさん泣いてきたので、葬式の時に流す分がないだろうというものです。
アーサー・クラインマンは、自身も介護の経験をし、ポーリン・ボスは、長年にわたり、認知症の介護をする人たちから、直接、話を聞き続けてきたようだ。
どうしても、自分の限界だとしても、当事者性のことを踏まえた上でないと、十分な抽象化は、特に「ケア」に関わるときは、難しいのではないかと思ってしまう。
上空
最終的には、講座の内容は充実していたものの、それは、どれだけ質が高くても、これから先は、自分の能力の足りなさのせいかもしれないけれど、ただ上空を通り過ぎていくだけかもしれないと思った。
ただ、久しぶりに、こうしてリアルな現場で話も聞けて、こうやって考えられるだけでも意味があったと思うのだけど、このもやもやした気持ちや、無力感や焦燥感なども含めて、もう少し考えて、そして、次回、この講座があったときに、参加するかどうか決めたいと思った。
前回(第6回)、講座に参加して、質問とお願いのようなことを語り、それは、とてもその場には邪魔な言葉のように感じてしまったことも思い出し、それも含めて考えた。
この数年、ケアという言葉はあちこちで聞くようになり、美術専門誌の特集になったこともあって、だから、介護も含んだ広い概念としてケアがあって、だから、それが広まっていけば、介護も変わるかもしれない。などと思ってきたが、もしかしたら、そういう現実の介護の現場の全てを、抽象度の高い「ケアの世界」では、包括しないといったことが見えてきたら、自分にとっては、あまり意味がなくなってしまう。
だから、これから先、この講座にも来なくなるかもしれない。
『世界は贈与でできている』 近内悠太