2017年3月30日。
場所は西巣鴨。3年通った、自分にとっては縁が深い場所。そこに、そういうお寺があったことを知らなかった。落語で有名な、といっても、知識としてしか知らない高尾という遊女のお墓が、そこにある、というのもまったく知らず、そういったことも含めて展覧会として成立させる、というだけで、凄そうだった。
それが「新芸術校」という、カオスラウンジという組織が成立させている「学校」の卒展として行われる、というのは、それだけで感心もするものの、今日が最終日なので、なんとか行きたいと思った。
なじみのある駅。なじみのある光景。すぐそばにこんなお寺が広がっているのを知らないままだった。本堂に入る。香がたかれ、ダウンジングする動き。「位置に就いて1」。鈴木薫。
このお寺は関東大震災以後に、浅草から移ってきた、という歴史があるらしい。そして、反魂香というのは、死者を呼び出す儀式でもあるというのだけど、ここはお寺であって、お墓があって、死者を弔っている場所でもあって、その場所で、こうした展覧会をするのは、他の場所でやるのとは違って、気配が違う。
香の香り。落語の内容。パフォーマンスの映像。この場所でやる意味の大きさとか、重さみたいなものがあるし、夕方にいるけど、夜になったら、また違うし、恐いのかもしれず、そして、ところどころにある説明文みたいなものが親切でもあり、歴史の教科書みたいな感じもある。
だけど、外へ行き、お墓の向こうに作られた土の女性像「阿弥陀女性像」(井戸博章)を見たりすると、その周辺の気配も濃厚にあるから、それはただの過去ではない感じがしてくる。そのとなりに低い場所になっている、お墓より低い位置にできたくぼみ、みたいな場所。「反魂香 舟」(梅田裕)。ひんやりとした感じの気温の低下が、ちょっと怖かったりもする。さらには、平面だけど、重みがあって、歴史みたいなものまで感じる作品(「難破船」村上直史)があり、最後に高尾塚もあった。そこは、ゆがんでいたり、古かったり、それなのに新しいお塔婆があって、誰が備えているのだろう、などとも思った。もしかしたら、今回、展示をするから、供えたのだろうか。
あちこちにある「井戸が故障してます」という張り紙が、水道ではないんだ、というのと、故障したらどうするんだろう、と思ったり、お寺でこの展示を開いた事の意味はとても大きいし、歴史という時間の中での、この土地のことを改めて考えられて、来てよかったとも思った。
(2017年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。