2024年11月9日。
(『日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション』東京都現代美術館 サイト)
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/TRC/
展示は、いくつものテーマに分かれて展示がされている。
最初は、第1章「胎内記憶」とあって、戦後すぐという、もう70年以上前の東京現代美術館に収蔵されていた作品と、高橋が初期にコレクションした合田佐和子、草間彌生らの作品が並ぶ。これは、1990年代後半から本格的にコレクションする前の作品らしい。
こうした、本格的なコレクション以前の作品は初めて見たし、それは、コレクターであり精神科医で、1946年生まれの高橋龍太郎の生きてきた歴史的背景を改めて分からせてくれる展示だった。
コレクションを見て、まるで自分と同世代の人のような錯覚をすることもあるのだけど、高橋氏が、自分よりも上の世代の人であることを感じて、だからこそ、その後の、1990年代以降のコレクションも、ただ、その頃の若い人たちの作品を集めた、というものではないことにもつながっていく。
第2章「戦後の終わりとはじまり」では、小さな棚のようにも見える「なすび画廊」が、壁に並んでいた。
小沢剛の作品で、銀座を中心とした貸し画廊で、かなりの金額を払って1週間程度、作品を発表する。といった方法しかなかったのが、1990年代の現状だったようだけど、そうしたこと自体に異議を唱えるという意味でも、当時、まだかろうじて存在した家の前にある牛乳ビンを置いていくための箱を、とても小さな画廊に見立て、確か、当時、銀座にあった「なびす画廊」の近くに、小沢の同世代の作家を中心に、その中に作品を設置するというものだった。
それを20年以上前に聞いたとき、すごいと思い、そして、そうした当時では「新しい動き」でもあり、日本独自の環境を背景とした作品をつくり始めたのが1990年代で、それを象徴するような村上隆や会田誠らの作品が並ぶ。
何度も見てきて、だから、すでになつかしさもあるけれど、でも、新鮮で、当時の作家の切実さが、作品の中には当然ながらまだ宿っているようだった。
それを、高橋が「若い世代の叫び」と表現していたようだが、確かに、そうした気配が漂う作品ばかりに感じた。そして、それはコレクションに共通する基準のようにも感じた。
私も、その「叫び」のようなものにひかれて、現代美術に興味を持てたのかもしれない。
今回、1993年から1994年に行われた「ザ・ギンブラート」と「新宿少年アート」の記録映像を見た。
そこには、この展示室に並んでいる作品を制作していたアーティストの若い時の姿が映っている。
なんだか不思議な感じがした。
第3章 「新しい人類」では、奈良美智の作品があり、例えば「Untitled」(1999)は、やはり今も新鮮で気持ちがよく、切実だった。船越桂の彫刻は澄んだ印象のままで、加藤泉の作品は近所の自宅を改装したギャラリーで初めて見たときの印象の強さだった。
人間を描いた作品は、人によって、これだけ違うことを改めて感じる。
それも、ベテランだけではなく、最近見て印象に残っていて、文句のつけにくい完成度を見せて、しかも新しく思えた1999年の友沢こたおといった若い作家の作品にも、幅の広く、でも納得のいく選択をしているように見えるし、私は恥ずかしながら知らない作家だったけれど、1992年生まれの村上早の作品も、うそのなさがあって、この展覧会に並んでいる作品と同じく、私自身も見たいと思うようなものだった。
本当にコレクターの選択眼が一貫していると思うから、あまり盲信するのも失礼なのだけど、本当に高橋コレクションは、世代に関わらず、新しさがあったとしても、どこか切実な気配は変わらずに、いい作品ばかりだと改めて思う。
そして、人間の描き方は、とても豊かで、だけど、同時にこれだけの可能性を見せてくれるアーティストの人たちの凄さと、それをきちんと見逃さずにコレクションして、こうして一堂に見せてくれる可能性を残してくれた高橋龍太郎氏も、これだけの年数と数が揃うと、やはりすごいと思わせる。
ここまでで、1階の展示室。まだ、地下2階の会場がまるまる残っている。
歴史と瞬間
当たり前だけど、ずっと同じようには時間が流れない。
そして、時代に影響を受けない人はいない。
ハンドアウトによると、東北地方にルーツを持つ高橋氏は2011年の東日本大震災と福島第一原発事故によって、感覚の変化をもたらすようになった、という。
その災害と事故を、かなり生々しく、というか、今見ても、そして、東京にいて、直接その被害にあっていないとしても、そのときの緊張感と不安のようなものが直接、伝わってくるような作品も、4章「崩壊と再生」の展示には並んでいた。
そして、アトリウムという広い空間に並ぶ、あのときの感覚を思い出させるような巨大な作品が並び、そして、そこには、作品の巨大さによって、圧倒される気持ちよさのようなものもあった。
その後も、5章「私の再定義」、6章「路上に還る」と続き、それは時代によって変わった自分の感覚にも忠実に、だけど、切実さのようなものを感じさせる作品が並んでいる。
これでもか、と作品が並んでいる。歴史と瞬間がそこにある。厚みはあるけれど、新鮮さを失わない。
これで終わりかと思うと、終わらない。
(東京現代美術館 サイト)
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/TRC/
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(『東京都現代美術館』サイトより)
ここに並ぶ固有名詞の、それぞれの作品を見たと思うくらいで、再び、気持ちが盛り上がるくらいだった。
全部で約230の作品が出展されているらしいのだけど、体感としては、もっとあった。そして、2時間弱で見たのだけど、それは午後8時の閉館時間を意識して、少し早足な感傷になってしまった部分も多くて、本当だったら、もっとゆっくり見て、一度、お茶をしてから、またゆっくりと見て、最低でも半日をかけたい気持ちがした。
充実した展覧会だった。
そして、人が思ったよりも多くて、さらには若くておしゃれでセンスの良さそうな人が目立ったのも、なんだか心強かった。
個人的な収穫
ここ何年かで、もっともすごい作家の一人で、これからの未来もつくってくれるだろうと思っているのが弓指寛治という現代美術家だった。
その弓指が、本格的にアーティストとして注目を浴びたのが、限定的とはいえ、カオスラウンジ新芸術校第1期生の成果展で、母親の自死がモチーフになった「挽歌」で金賞を受賞したが、その2016年の作品をきちんと見た記憶がなかった。
その「挽歌」が、アトリウムで、他の巨大な作品群の中に並んでいた。
これだけの作品を最初に描いてしまったら、後が続かないのではないか、そんな心配さえさせるような、どれだけの心身をここに注ぎ込んだかはわかるような作品があった。
すごかった。
そして、高橋コレクションの中にあったことに安心感もあった。
さらに、地下2階の展示も、これでもか、と作品が並んでいて、最後の展示室になって、ずっと見たいと思っていた大きな作品を見ることができた。
この本を読んでから、ずっと見たいと思っていたことを、この「樹海」を目にして、改めて思い出した。
濃密な作品だった。長いキャリアの全てを惜しみなく注ぎ込んだような必死さがある絵画だと思った。
この展覧会の紹介で、弓指寛治の「挽歌」や、根本敬の「樹海」に正面から触れた記事などに記憶がなかったから、この2つの作品を見ることができたのは、意外でもあったけれど、自分にとっては収穫だった。
そして、どちらも高橋コレクションの中にあるのは、どこか納得感もあった。
仕事の後で、少し疲れていて、清澄白河は遠いし、歩くし、と思って、一瞬ひるんでしまったけれど、会期終了間際に来られて、そして見ることができて、本当に良かった。
(『日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション』)
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