1998年8月12日。
大阪出張の途中、時間の空きが出来た。そして、天保山へ行った。暑い。海のそばの美術館。お台場を、遠くに思い出す。美術館は、大きな窓と、そこから見える海のイメージが強い。後になって、安藤忠男の設計だった、と後に知る。でも、思い出してみても、その現場とのしっくりした具合は、確かに高かったような気がする。外と中が一体化しているような気がした。
ピカソ。そのイメージの源泉。
そんなことがテーマとして書いてあったと思ったが、写真と、それをもとにして描いたという絵が、ほとんどそのまま描いてあるだけだった。同時に、確かに何を描いてもピカソはものすごくピカソな感じもする、ただ、もっと奔放にやっていいんだ、という開けた気持ちも確かにしてきた。そういうエネルギーが、ピカソの関係しているものには、ある。でも、こうやって書いていて、ピカソのことを語れるような力量はあるのか?自問したくなることもある。そういう凄さなんだろうな、とも思う。
たぶん、人に見せることをあまり意識してないものもあったりする。と書いていて、いや、あれだけ生きている時から注目され、それを本人も分っていたら、まったく人の目を意識しないものはあり得るのだろうかと、思ったが。
でも、女性の写真に「落書き」とたいして変わらない書き込みみたいなものがあったりするのだが、こんな便所の落書きのようなものまで、カッコ良く見える。それはピカソだから、という意識をゼロにできるかどうか分からないにしても、なるべく、そう見ても、ピカソじゃなく何も知らずにと思って見ても、そう感じると思えた。
こんなところまで、差が出てしまう。ものすごく技術が高いのは、観客にまで分かる。
オリジナリティにこだわるのは才能といったものがないというか、自由じゃない、ということなのかもしれない。
ここで、アンディー・ウォーホルのことを思い出した。オリジナルというものに関わることだ。ウォーホルが、商業美術の世界からファインアートへ移ろうとして、(考えたら商業美術の世界で成功するのも大変なのに、)いろいろ模索していた時、コミックのコマを大きく描くこともやっていて、リキテンスタインが同じことをやっていたので、やめ、そして、キャンベルスープ缶を選んだというエピソードが軽く語られていることが多いような気がするが、先にやられたというショックはウォーホールにはなかったんだろうか。それとも、ああ、そうか、コミックは材料が多いから逆にマンネリになるな、とか思ったんだろうか。先を越されたと思った時の、ウォーホルの気持ちも、知りたい、といった、思っても不可能なことだった。
(1998年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。