
2025年5月4日。
休日の吉祥寺の駅前は、イベントが開かれていて、音楽が聞こえ、騒然としていた。そこから、少し歩いて、道路を左折して、もう一度、左に曲がって、吉祥寺シアターに着いた。最初に来たときは、この2回曲がるのが分からなくて、かなり迷った。
この前来たのは、もう7年も前、コロナ禍以前で、平田オリザ演出の舞台を見に来た時だった。気がついたら、かなりの年月が経っている。
劇場の前にポスターが貼られていて、そのそばには「当日券あります」という文字まで並んでいて、そんなに焦ってチケットを予約しなくてもよかったのかも、と思い、それから、プリントアウトしたQRコードを見せると、結局は名前を確認し、2階に上がり、開場までの時間を過ごす。何人もが同じように待っている。
開場し、チラシなどがある席に座ってください、と言われ、自由席でもあるし、二時間以上、休憩もなし、ということで、自分が頻尿のため、さらには演劇という分野への気持ちの距離の遠さもあって、一番後ろの席を取る。ここは、200人弱の観客で、後方へ向かって段差があるので、それでも十分に見える。
観客席のあちこちで、あいさつをする人たちがいる。こうして関係者がたくさんいる感じは、演劇に来るたびに思うことだった。
すでに舞台上には、役者がいる。
歩いたり、ストレッチをしたり、観客席に座ったりしている。最初に、観客が選べない席は、関係者席、なのか、などと思っていたが、その席に役者が座ったりもしている。
舞台中央には、薄く水が張ってあるスペースがあって、そこにはベッドも設置してあるから、部屋のような設定になっているのだろうけれど、そこはかなり暗く、すでに人が立っているのがわかる。
いろいろ気になる。
演劇の更新
午後1時に開演。
その時刻になると、それまで舞台のあちこちを歩いていた一人の女性---役者の人が、観客席に向かって、やや大げさな手振りと表情と、芝居がかった話し方で、注意事項のようなことを話し始める。
この舞台は、フラッシュを焚いたり、観客の方が映り込まないように気を配ってもらえたら、写真撮影は可能です。それをSNSで拡散するのも大丈夫。見ている人が自分の記憶のために、何が起こったかを覚えているために、それを行うのであれば、恥知らずにはならないでしょう。
この恥知らず、という表現は、大江健三郎の言葉として、意識的に選択されたことは、アフタートークで知ったのだけど、この恥知らず、という響きによって、ちょっと目が覚めるような、これから始まる演劇は質が違うのではないか、といったことを思った。
そこからの2時間強は、不思議な時間だった。
時々、今、舞台、という目の前でおこなわれていることが、あまりにも分からなくて、距離が遠くなり、つい眠ってしまうような瞬間もあったのだけれど、役者が普通に観客席に語りかけたり、役者が演技しているところに対して、他の役者が批評的な言葉を投げかけたり、そこで行われていることは演劇のはずだけど、これまで少ないけれど見てきた観劇経験の中では経験しなかったことが、役者という人間によって行われていた。
舞台のあちこちで同時に動きや言葉があるし、明確な意味だけがあるわけでもないが、一応のストーリーのようなものはフライヤーにも書かれていた。
それは、ある演出家から、しかも弟を通して渡された戯曲が「想像の犠牲」であって、だが、その演劇は一回だけ上演されて、あとは中止となるが、その後、アーカイブとして演じられようとしている、といったことらしいが、そうした筋のようなものは、あまり関係ないような、戦争のことや、演じることについてなども、唐突と思えるようなタイミングでも語られ、批評されるような場面もあり、中盤を過ぎたあたりから、その全体を通しての意味というよりは、目の前で今起こっていること、話されていること、舞台のあちこちで、役者が動いていることなど、観客席と、舞台が、それほどくっきりと分けられないように、組み立てられている出来事を、見たいように見れば、聴きたいように聞けばいいのだと思えるようになってきた。
だから時間が進むほど、眠気は起こらなくなっていた。
過去と現在と、想像と現実が、どうやら複雑に組み合わされていて、その規則性はないようだけど、考えたら、普段生活していても、今を生きていながら、昔のことを、現在起こっていることのように思い出したり、過去と現在が、ちょっと混じっているように感じていたり、まだ起こっていない未来や、自分が見聞できないような遠い場所のことや、この演劇にあったように、ふと見たが動画のようなものに影響されたりすることは、当たり前のことのようで、意識はあまりしていない。
だけど、こんなふうに、そうしたリアルを、複雑な状態を、複数の人間が、一つの舞台で表そうとしているのかもしれないけれど、そして、どの舞台でも、そうした試みがされているかどうかは、分からないし、自分自身が演劇の鑑賞体験があまりにも少ないから、この舞台の特殊性がよく理解できていないのだろうけれど、それでも、平田オリザの演劇を見て、芝居がかっている恥ずかしさのようなものを感じないことに感心もしたが、今回は、さらに、演劇の約束事、舞台と観客席は分けられていることや、役者同士は、その瞬間は同じ演技モードを共有していることなど、やはり長い時間で積み上げられてきたルールのようなものを更新しようとしているような感じは伝わってきた。
だから、演劇独特の芝居らしい恥ずかしさのようなものは、平田オリザの舞台よりも、さらに減っていたし、時々、役者の言動で、自分のことや、他の何かを思い出したし、こうして『想像の犠牲』のことを振り返ると、さらに、さまざまなことを考えてしまっている。
演劇よりは、美術の展覧会の方が、個人的には多く足を運んでいるのだけど、今回、見た『想像の犠牲』は、現代美術だと思うと、納得できるような気がした。
現代美術は、時代ごとに、これはアートなのか?といえるような作品が現れ、そのたびに、アートの基準のようなものが更新されていき、アートがかわっていく。それは、便器を展示して、アーティストが選ぶことそのものがアートだと主張したマルセル・デュシャン以来、決定的になったという印象があるのだけど、自分が知らないだけで、演劇でも、これが演劇なのか?という更新はされてきているはずで、この『想像の犠牲』も、その試みの一つなのかもしれない。
どこで終わるのだろう、ここだろうか、この盛り上がりの中で、急に舞台は終了するのだろうか、などと、終盤は思っていたのだけど、そんな未熟な観客の期待を裏切るように、日常的な散歩のような場面で、まだ続くかもしれないと思わせるような瞬間で、静かに役者が集まり、横一列になって、観客席に頭を下げた。
ただ、そこで役とは違う自分に戻るような解放感や、達成感のようなものは、あまり伝わってこなくて、ただ、舞台が終わったような気配に見えた。まだ続いているような感じさえもあったのだが、観客席からは大きな拍手が起こり、かなりの人が、それも演劇に詳しかったり、もしかしたら関係者かもと思えるような人たちが、手のひらが痛くなるのでは、と思えるほど強く拍手をしているのもわかった。
当日券あります。という表示を見て、もしかしたら、人が入らないのでは、と思っていたのだけど、空席がほぼ見当たらない状況になっていた。
舞台なのに、フラッシュを焚いたり、観客が映り込まなければ、写真を撮影してもいいし、SNSにあげてもいい、と最初に、演劇の一部のように伝えられていたけれど、個人的には撮影しようとは思わなかった。
それは、恥知らずにならない、といった言葉が、かなり強く効いていたせいもあるから、やはり、それも、この演劇の中に少し飲み込まれていた、ということなのだろう。
演劇は、まだいろいろなことができるのかもしれないと、ほとんど演劇のことを知らない観客にさえ、時間が経ってからも思わせるのだから、やっぱりすごいのかもしれない。
演出家に聞きたかったこと
アフタートークで、作・演出の山本と、トーチWeb(漫画サイト)の編集長・中川敦が話をしていたが、やはり観劇が初めて、という山本氏が、演劇としての異質性のようなものを語っていた。それを狙っているのだろうけれど、自分だけが、そんなようなことを感じて、戸惑っていたのではないと思えると、変なことだけど、ちょっと安心もした。
これだけの複雑な構成と、しかも、これまでとは違うものとして成立させるのは、とても難しいことだろうから、この脚本(当人は戯曲と言っていたが)や演出を含めて、1995年生まれの山本が担当しているのだから、どれだけ頭がいいのだろうと、なんだか得体の知れなさまで感じるけれど、同時に、この劇団「Dr. Holiday Laboratory」を主宰し、演劇、小説、川柳など言葉の表現を追求する、と紹介文のようなものには書かれているが、これだけの知力があれば、もっと華やかだったり、わかりやすい評価を得られることもできるはずなのに、どうして、演劇という、今はあまり広く見られることのない分野を選んでいるのだろうか、という疑問があった。
そのことを、それは愚問かもしれないけれど、聞いてみたくて、アフタートークでは、もっと真摯な質問が多く気が引けたので、その後にロビーにいたら、と思って、階段を降りた。
山本は、仲間と思われる何人かの若い男性と笑顔で話をしていた。終わりそうもない気配だった。そこに割り込んだりする勇気もなかったし、少し遠くで話が終わるのを待つというような余裕もなかったので、そのまま吉祥寺シアターを出た。
観に来て、よかった。と真っ直ぐに言えないものがあるにしても、あまり経験のできない時間だったのは間違いなかった。
平田オリザの演劇を一本だけではなく、分からないと思って、あと2本は観たように、この劇団「Dr. Holiday Laboratory」の山本ジャスティン伊等が作・演出をする演劇ならば、もう少し見ようと思うかもしれない。
https://dr-holiday-lab.stores.jp/items/67b47cc913edcc076570bbf5
【書籍版】山本ジャスティン伊等『想像の犠牲』戯曲+上演記録映像