2017年7月31日。
ドアを開けると、一人だけスタッフらしき男性がいる。
一通り作品を見る。デジタルのあと、という感じはする。こういうグリッドを意識した作品みたいなものは、今は見慣れた、まではいかないにしても、よく見るようになったけど、デジタル機器がこれだけ普及する前にはゲーム関連で8ビットのぎこちない四角の動きみたいなのをかすかに憶えていて、それはどこか無理のあるものにも見えたけれど、今は普通になっている。
だけど、その感じは、今回のメイン展示とも言えるバーチャルな見せ方で、違うものにさせたい、というようなことは分かったような気が少しだけする。
畳に座る。バーチャルにつきものの大きめのゴーグルをつけると、それだけで遮断された感じが強くなり、そこにヘッドフォンをつける。
音に注目してもらえると、画像が変わり「こと」という文字が見えるので、そこを見ていると、また変ります、と言われたが、それがちょっとピンとこないで、ただつけたら、世界が違う場所になっていて、もといたギャラリーとは違う広い空間には確かになっていて、だけど、その注視する、というのがよく分からなくて、このアニメでできたマンダラみたいな世界が広がるだけなのか、と思ったときに、ごちゃごちゃしたものが近づいて止まった。そして「こ」と「と」を表示し始めたので、お、と思って見ていたら、下が抜けた。今まで座っていた畳がなくなり、下がどこまでも縦に穴があくというよりも、空中に浮いているような感覚にもなった。
それがしばらく続いたが、そのあとは、2度とその感じにならなくて、ちょっと不満だったけど、ヘッドフォンとゴーグルをはずした。スタッフの人とすこし話をした。酔っちゃうような感じになる人も、時間が長くなるといるらしい。
有無ヴェルト、というのが、ウムヴェルト=環世界、という意味らしく、すべての生き物は、それぞれ独特の知覚世界を生きていて、そんなことが関わっているらしい。確かヒルかなにかの知覚の話があって、血の匂いと湿気などという条件が揃うと、意識が覚醒するが、それまでは意識が眠ったような状態で何十年も生きていて、その間は、そのヒルにとっては意識がないのと一緒ではないか、というような例があげられて、それで環世界、という概念が語られていたはずだった。
それならば、この作品の中での知覚の変化は、そのそばで動いていたルンバの視点に移動した、ということになっていて、だから、底が抜けたのだというのだけど、あとで考えたら、可能かどうか分からないけど、その視点の高さがガクンと下がる、といったように感じられるようなことになっていれば、それは本当に環世界が少し変った、ということにならないだろうか、といったことを考えたり、身長が10センチ高い視点とか、10センチ低い視点といったシンプルな方が、もしかしたらある意味での驚きがあったのではないか、といったことも考えた。そういうことも検討した上での、この作品かもしれないが。
「増やすことは、正しいことですか?
作ることは、正しいですか?
死んだ後もやっぱり、つなげてゆきたいですか?
消えたくないですか。
あなたは気づいてしまっている ここが虚無であることに
き01001011010010でしょう?
この虚無を乗り越えるためには
誰よりも早く広がるか
とどまって積み重ねるしかない
あとひとつ、方法があるけど
いまはまだ、10010ね。
ここからが本番です。
あなたの名前は100101011
立派な0100000100000000001001001なんですから」
(2017年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。