1998年10月31日。
目黒美術館の適度な広さは、気持ちいい。もっと来たいが、勝手な観客の好みだけど、見たい企画は、なかなかやらない。
韓国の作家は、全体的に熱さを感じる。前に来ようとしている印象を受けた。
それに対して、日本の作家は、今の時代がそうなんだろうが、冷たいというか、どこか絶望みたいなものがあって、でもそれが自分にとってはリアルで、つながって感じるし、印象にも残った。
「ジゾーイング」という作品(小沢剛)は、写真の中で「ジゾーはどこだ?」と探せるようなサービスがあると思えるし、照明として使われてもいる和風のカバーの蛍光灯のわびしさは、昭和の時代の微妙な貧乏臭さを、実感として思い出させる。
やなぎみわ のデパートガールの写真は居心地の悪さも含めて、そしてその気持ち悪いほどの清潔感は、現代な感じがするし、平田五郎のパラフィンの家は靴を脱いで歩いて、その足の裏から感じる感触も含めて作品だった。
須田悦弘の作品は、空間を使った頓知のように見えた。トップライトの下に落ちてくるように設置された分かりにくいチューリップの花びらは、見つけた時、とても得な感じもして、すごく嬉しかった。そして、見上げると、かなり上の方から、茎の部分や、花びらがバラバラに縦に長く、配置されていて、それをまとめると木彫りで作られた一本のチューリップになる。それは、空の方から、花が落ちてきたように思えた。その作品は、見落としてしまう観客もいるようで、そして、それでもいいと言わんばかりに、目立つ表示もしていなくて、そういったことも含めて、面白いと思った。
草間弥生の作品もあった。
(1998年の時の記録です。多少の修正・加筆をしています)。