アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

会田誠 展「もう俺には何も期待するな」。2014.1.29~3.8。ミヅマアートギャラリー。

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会田誠 展「もう俺には何も期待するな」。2014.1.29~3.8。

ミヅマアートギャラリー

 

2014年3月4日。

 去年、森美術館というメジャーな場所で個展をやって、ポジティブな話題もネガティブな話題も多く振りまいて、だから、しばらく個展もしないのかも、みたいな事を思ったりもしていたけど、所属のギャラリーで個展をやることを知った。それに、なんだか力がぬけるような気持ちがするような作品らしい、というのも知って、見に行きたいとも思った。

 

 市ヶ谷から歩いた。地下鉄の南北線と都営新宿線だと、その出入り口がずいぶんと違って、思っていた時間よりもかかった。予定だともっと早く着いて会田誠初の監督の映像作品を見る前に、他の作品を見たりするつもりだったけど、ギャラリーに着いたら、午後5時数分前だった。5時から作品が始まるのは知っていたから、少し外で待っている人がいて、並んでいるのかと思ったら、違っていた。中に入る。3人ほど先客がいる。あと2分です、という表示。外には、「画面がゆれるときは、あまりじっと見ないほうがいいです、すみません」。という文章があった。

  

 始まると、「土人@男木島」というタイトル。若い女性がレポーターとして画面に向かってしゃべっている。瀬戸内海の小さい島で「土人」が発見されたので、その真偽を確かめに向かいます、という形式。船でその島へ向かうと、港に着く前にもう土人がいる。土人という言い方は、差別語という理由でもう使われる事もなくなってはいるが、それはあえて使っていて、そこに架空のクイズ番組(といっても、すごくありそうな設定)のリポーターが向かって、そのうちにだんだん土人のことを理解していく、という内容。

 

土人」は、言葉がしゃべれず、日本語は理解できないが、彼らの中ではコミュニケーションをとっていて、そして、ほぼ裸の彼らに島の人達が名前をつけている。うみやろう。やまやろう。あなやろう。ひげやろう。今は使われていない小学校で木材などを使って、何かをつくったりもする。そのうちに学者という設定の人が出て来て、古代の日本からタイムスリップしてきたのではないか、という説を語る。葉っぱをそれぞれ集めて名刺のように使ったり、全員がロリコンで「貧乳山」を拝んだり、大便を分析したら現代人とはまったく違う構造だろう、という話が出たり、とよくあるようなエピソードが出てくる。

 

 途中で、手ぶれのために画面がよく揺れる。会田誠が1ヶ月半、島に滞在して、ずっと撮影していたという事だった。そのうちに時間が進み、島の人間と仲良くなったのだが、あなやろうが、アイスやスナックを食べたら、お腹を壊して死んでしまう、というような内容となった。考えたら、これだけの内容があまりない話なのに、あきずに見られた。最後は、女性レポーターが、最後の問題です、と語り、この茶番にどのようにオチをつけるのでしょうか?といい、その答えが、現代の文明よりも「土人」の生活が魅力的に見えるようになったから、その仲間になる、というところで終る。

 約50分が、それほど長く感じなかった。

 

 他の作品は、この1年間のものだという。金屏風に、これ以上ないほどの無意味な落書きと思える絵や文字。イラストとして頼まれたような描きこまれた絵画。TEDに出て、失敗した話がプリントアウトしてホッチキスで止めてある文章。靴をぬいで、畳の上で、それらを見る。

 わざとらしくない脱力系の作品。

 思い付いたことを、すぐ形にしていくすごさは、やっぱりあった。

 

 

 

(2014年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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