アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「生誕100年 岡本太郎展」。2011.3.8~5.8。東京国立近代美術館

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「生誕100年 岡本太郎展」。2011.3.8~5.8。

東京国立近代美術館

 2011年3月26日。

 東日本大震災が起こってから、ほぼ外出をしていない。ずっと家にこもって余震が怖い日が続いていて、放射能のニュースを気にして、自粛や不謹慎のこわさについて考えて、ティッシュやお米や納豆が売り切れる(消える)ことに少しイライラしつつ、毎日が過ぎていたから、美術館に、今通っている学校のみんなと行くなんて、とても楽しい出来事だった。ありがたい。そして、考えたら、こんな時だけど、学校の同期と美術館へ行くなんて、初めてのことで、それはとてもぜいたくな事でもあった。

 

 久々に地下鉄に乗り、途中までは学校に通う道と一緒で大手町で乗り換えて、東西線のホームにいたら、向こうから今日会う人が1人やってきた。なんということもない事を話した。1ヶ月半くらい学校の同期とは誰とも会っていなくて、去年の入学以来、そういう事は一度もなかったから、どこかで寂しい気持ちもしていたけれど、今はぜいたくな時だから、本当に大事にしたい、というような気持ちになる。

 

 美術館に着いて、入場券を学生の値段で入って、50円引きの券を使い、それから外にあるガチャガチャを400円で買っていると、けっこう人でにぎわっていて、ちょっとしたお祭りのような感じになっていて、館内にも人が入っていっていて、地震以来、自粛や不謹慎などの出来事ばかりが気になっていたから、こうやって普通に、人が楽しんでいる風景がなんだかホッとさせるものがあった。みんなが来て、今日、一緒に美術館を回るのは、自分も含めて5人になり、ごぶさたしてます、みたいなあいさつもして、変らない感じにやっぱりどこか安心もして、それから展覧会に入って、と思ったら、その前にショップでTシャツからバンダナからふせんから、太陽の塔のモデルから、いろいろなものが売っていて、それが魅力的でそれを見てから、会場内に入る。

 

 最初は、立体が並んでいた。今見ても、けっこうコミカルな感じの作品が多く、どこか抜けている感じがよかった。絵も、おなじみのものから、様々なものがあった。途中で少し一緒に行った人達と話しながら、やっぱり絵は全部を出し切っていないような気もして、と思っていたら、「反世界」という絵が、妙にリアルで、自分が出ているようで、いいなあ、と思っていたら、一緒に見に行った人達からは、こわい、という感想が聞かれたのだけど、自分は、この絵は好きだと思えた。

 

 そして、マスコミの世界で注目されていた頃、タモリの番組に出ている岡本太郎の映像も初めてちゃんと見たが、独特の感じはあって、このイメージだけで、1980年代は語られた、という気がした。

 

 今の20代の人の方が、このイメージを知らないから、かえって純粋に見られるのでは、とも思った。最後の方で、自分の描きたいもの、という感じで目がたくさんあるような絵が並ぶ部屋があったが、そこもちょっと怖いという感想が聞かれた。

 

 一緒に行った人の中には、ファンになった、という人もいて、なんだかうれしかった。図録と、ポストカードと、ふせんを買った。Tシャツとか、バンダナとか、迷いながらも、買おうのをやめた。少し気をゆるめたら、腕時計とか、太陽の塔とかを買ってしまうかもしれない、くらいの気持ちになっていた。

 

 美術館の中のレストランでお茶とケーキを食べ、1時間半くらいしゃべって、本当は、それから、またどこかで食事とか、飲みに行くなどしたかったが、解散となり、ちょっと寂しかった。

 でも、ずっと恐さを感じつつ、自粛や不謹慎の空気の中で暮らしてきたから、ささやかだけど、久しぶりに嬉しく、楽しい時間だった。

 

(2011年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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