2020年8月18日。
半年以上、美術館にもギャラリーにも行かなかった。この25年で、初めてのことだった。半分は行けなかった。コロナ禍で、感染リスクが恐くて、出かけられないという理由もあったし、緊急事態宣言の時は、施設が開いていなかったこともあった。その頃は、図書館まで閉鎖されていた。
世界が狭くなったり、暗くなったりした気持ちだった。
美術館は、特に現代美術主体の施設は、こういう言い方は失礼かもしれないけれど、「密」とは程遠い場所なのに、どうして閉めさせられてしまうのだろうと思っていた。
緊急事態宣言が発出され、解除されたのが5月25日。それから、いろいろな緩和が始まったが、ワタリウム美術館は、おそらく都内ではもっとも早く5月27日から再開していた。
それでも、電車の移動中の感染リスクを怖がってしまっていて、なかなか出かけることができなかった。予約制の場所も多いせいもあって、それは、これまでは、行こうと思った時に、すっと行けていたせいもあって、ぜいたくだとは思いながらも、ちょっとおっくうな気持ちもあった。
ワタリウムは、予約しなくて、行けるようになっていたし、青木陵子と伊藤存の作品は見たかった。当初の予定の6月14日では行けなかったけれど、会期は延長されて、8月30日までになったから、行けるし、行こうと思った。
外苑前の駅を降りて、新しいビルができていたりして、道を曲がって、さらに歩くと、何度も見たワタリウムの外観が見えてきて、ちょっとうれしかった。
久しぶりに来て、受付はビニールで隔てられていたけれど、妻と一緒にペア券を買った。2階から3階、そして4階の順番です、といわれ、エレベーターに乗った。
ドアが開いたら、誰もいなくて、そこには、無数の「よくわからないもの」が並んでいて、そのことが、すごく気持ちがよかった。
『2017年と2019年、2回にわたり開催された芸術祭リボーン・アートフェスティバル(宮城県石巻市)では、人の手の不思議、自然との対話、時間を超えた普遍性の確かな広がりを見ることができました。そしてこの展覧会では、「人がつくる」ことの可能性がさらに広がり、それはワークショップ的に展開します』。(チラシの言葉)。
2階の会場には大きいテーブルがあり、そこには様々な作品が並んでいる。
小さいもの、組み合わせの不思議なもの、ささやかなもの、微妙な気持ちよさが伝わってくるもの。
そうした作品が並んでいる。
見て、いろいろなことを思ったり、そして、壁際には、刺しゅうの平面が立てられていて、「あ、伊藤存だ」と勝手に、ちょっと嬉しくなったりしていた。
誰もいなくて、途中で二人ほど観客の人が来たものの、ゆったりと静かで、こういう場所のかけがえのなさを思って、見て、考えて、また見ていた。
やっぱり気持ちがよかった。
3階は、ワークショップというか、「展覧会の中のお店“メタモルフォーセス”」だった。いろいろなものが並んでいて、中にはカッコいいTシャツもあって、だけど、その表しているものを考えたら、自分にはその器量がないと思って、買えなかった。
青木陵子のおみくじだけ、買わせてもらった。
「すごい急斜面をみんなで転びながら落ちてるかんじ
友達のカレシみたいな人
冒険 体験
型にはまらない突進力」
という言葉と、直角三角形のドローイングが添えてある。
4階は、重いカーテンの向こうは薄暗くて、そこに映像作品が展開していた。
スマホなどの灯りで見てください、と書いてあったが、携帯もスマホも持っていないので、ささやかで、繊細な物体が壁に映り込んで、動いていて、そのあとに、光が強くなり、部屋が明るくなる時を待って、そこにあるものを見る、を繰り返した。
壁には、ぶつぶつのような、意図せずできてしまったキズに近いものを、全部、赤い線で囲っていたみたいで、それを見て、なんだか感心もする。
しばらく、そこにいて、ぼんやりと、時々集中して見て、そして、そこから、地下1階のショップに向かった。
Tシャツが多く飾られていて、それだけでうれしくなった。
以前、ここで展示されていて、その頃は、コロナ感染リスクにびびって、見に来られなかった映像作品が、DVDになっていたので、購入した。『「光のサイコロジー」(安藤裕美)』。
買う時に、店員さんが、私が着ていた、以前、ここで買った伊藤存のTシャツに気づいてくれて、それをきっかけに、もう15年以上前に、ワタリウムで開かれた伊藤存の個展のことと、その時のワークショップの話もできて、それもうれしかった。
やはり、生きていく上で、必要な場所だと思った。
この場所はいち早く再開したし、なかなか来れなくて申し訳なかったのだけど、ワタリウムが開いていること自体が心強かったことを、自己満足だとわかりつつも、受付のスタッフに伝えた。