アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「生命の樹」。2011.2.23~6.26。岡本太郎記念館。

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生命の樹」。2011.2.23~6.26。岡本太郎記念館

 

2011年6月4日。

 1ヶ月ぶりにアートに妻と出かけようと決めた日に、腰が痛くなり、でも、大丈夫と思ってそのまま電車に乗って、表参道で降りて、岡本太郎記念館へ行った。いつ以来だろう。何度か来ていて、でも、そんなにひんぱんではないけれど、けっこう行った気になっているような場所。

 

 だけど、着いた頃には、かなり腰が痛くなっていて、楽しみにしていた生命の樹は、思ったよりも小さく、樹にある展示物がひもでつってあるのがけっこう気になり、ただ、全体の作りは、小さくするとよけいに分かるけれど、その実物大の写真を見ている印象とは違って、かなり繊細な印象だった。

 

 樹の下の部分のプランクトンみたいな透明な生き物の感じがおもしろくて、できたら、上の部分の恐竜とか、マンモスとかゴリラとか人類とかではなく、この下の原始的な生き物だけでも実物大にしてくれて、部屋をいっぱいにしてくれたら面白いのかもしれない、などとも思い、そういえば、この生命の樹の実物大にして、1部だけを立体にしてくれた展示を、岡本太郎美術館でやっていて、それは、まだ母の介護をしている頃だったけど、その万博、というテーマを見て、それほど元気はなかったが、迷わず出かけ、その時に、そこで小さい太陽の塔を買い、母の病室にずっと置いたりした。

 

 せっかく万博に行ながら、未来のきらきらに目を奪われ、そのせいか、太陽の塔の異質感に、どこかびびっていて、並ぶのならば入るのをやめよう、などと思った小学校3年生の自分がちょっと残念なのは、やっぱり太陽の塔の内部の実物を見ておけば、またずいぶんと違っていたのかもしれず、それを見たことで、その後がやっぱり違っていたのかもしれない、とありもしない未来みたいなものを思う。

 

 記念館にいる時には、ここは写真撮影が許されていて、その絵画作品にまで写真をとっている人もいる。自分は、イスに座る時にも腰に激痛に近い痛みが走ったりもして、作品への集中力はかなり欠けていたと思う。それでも、その館内を見て、アトリエを見て、岡本太郎が亡くなってから、もう15年はたつはずなのに、まだ、つい最近までいたような感じは確かにしていて、そして、その部屋のすみに「岡本」と名札がついたゴルフバッグがあるのを見て、あ、ゴルフをしてたんだ、と妻が見つけ、このバッグにはここに来て初めて気がついたかもしれない、と思った。庭を回って、それから出た。今度は腰が痛くない時に来たい。

 

 

(2011年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

taro-okamoto.or.jp