アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「フランス絵画の19世紀」。2009.6.12~8.31。横浜美術館。

f:id:artaudience:20211013104004j:plain

「フランス絵画の19世紀」。2009.6.12~8.31。横浜美術館

 

2009年7月20日。

 

 友人が招待券があると誘ってくれたせいもあって、現地集合にした。祝日のせいか、けっこう人がいた。最初にアングルの「パフォスのヴィーナス」があって、それほど美人だとも思えないし、画面の右下の天使は死んでいるように見えたり、腕のところに消しかけの何かがあったりと、完成しているとは思えないものだったけど、それは自分が理解していないだけかもしれない。まるでエアブラシを使ったような筆跡がないような絵の描き方は、おそらく今ではマネをしにくいとても高い技術と、手間ひまなのだろう、と思えた。

 

 それからけっこう大きい絵が並んでいて、それはハリウッドの映画みたいで、アニメっぽい感じがして、それから、ハダカの絵は明らかにエロチックで、中には男性のハダカもあって、これは女性向けかと思われる作品も並んでいて、絵はエンターテイメントだったり、ある種の実用品だったり、宮殿に住むような人には、もしくは大邸宅に住むような人達には、必需品だったのかもしれない、とも思った。

 

 ラジオもテレビもなく、本はあっても、視覚を刺激するようなものがなかったのだから、こういう絵がある事でずいぶんと生活が変わっていたのだろうと思える部分もあった。誘ってくれた友人はヨーロッパの美術に詳しく、その作品は小粒らしいのだが、だけど、その技術の高さや娯楽としての必要な感じとかは伝わってきて、19世紀は印象派が出てきた時代でもあって、そのアカデミックな絵から印象派へと並べてあって、確かにこれだと印象派が、書きかけと言われても仕方がないと思えて来るし、その中でセザンヌの絵って、こう見たい、みたいな意志だけが先に出ているような、やっぱり変な絵で、この妙な意志みたいなものを抜いてしまったら、ただの地味な絵で、リンゴが転がっているようなのも、ようするにリンゴの形がポイントで、そういう変で強い意志を抜いてしまったら、ただのくだものの絵にしかならなくて、セザンヌ風として、見て来た絵の多くは、そういう事なのだろう。

 

 ルドンの絵もあった。なんだかよくて、それを最後の部屋として終わった。きっかけがないと見にいかないタイプの展覧会だったので、行けてよかった。200年くらい前の絵が、まだあって、まだ見られるというのはやっぱり不思議な気がする。

 

 なめらかな質感を出すために、どれだけの工夫と技術が必要だったのだろう。それが、必要でなくなる、という時代の境目にいた画家は、どんな風にそこを乗り切ったり、乗り切れなかったりしたのだろう。時代が変わっていくところにいて、それも今までの場所にいた人達は、それでも時代が変わっていく、明らかに変化していく、という事を認めなければ、それで何とか乗り切れたのかもしれない。そうしてはっきりと少しずつ変わって、あとから見たら、この人は古くなってしまったんだな、とわりと一言で言われてしまうだけかもしれない。いろいろなゴチャゴチャした思いはなかったようにして。おそらく、今もそうしたけっこう大きな変化の時で、そういう変化がゆっくりと、そして急に進み続けているのかもしれない。

 

 

(2009年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

www.amazon.co.jp

 

yokohama.art.museum