アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「カルチャー批評から見る日本社会」講演:宇野常寛。2014.5.24。「明治大学リバティアカデミー」。明治大学中野キャンパス。

2014年5月24日。

 もう何ヶ月も前に申し込みがあった。その時は、全く仕事も決まらずに、本当に先が暗かったが、そういう時でも興味があるので、申し込んだ。先着400名。相当な人数だったが、前回は、この明治大学の企画で村上隆の対談を見た。それから、もう半年以上がたっている。

 中野から降りて、きれいに整備された公園と新しいビルとそこに入っている店舗を見ながら、いくつかの大学のキャンパス、といってもほぼビルだけど、新しい建物ができていて、考えたら、こういう講演会を無料で人を集められるなんて、すごいことだとも思うが、宇野常寛は、そんなにビッグネームになっていたのかとちょっとびっくりもする。そういえば、ラジオもやっていた。

 

  講演の最初から、独特のちょっと計算されたような、テンションの高さだった。そして、話はインターネットのことになる。

 

 インターネット以降、テキストやコンテンツは限りなくゼロ円に近づいている、という話。つまり音楽でも本でも、ほぼ無料になってしまっていて、だから、今は体験にはお金を出すようになっている。これは、もう言われていることですから、と言いつつもスムーズに話が進んで行く。そうとう話慣れた感じだった。
 
 そこから、話はよどみなく進んでいく。
 

 クールジャパンにはいろいろな非難があるけれど、ソフトだけを売り出そうとするのではなく、コミュニケーション環境そのものも輸出しないとダメなのではないか。(そのソフトに対して、どんなことを言い合っているのか、といったような)

 

 この10年、文化は街から生まれなくなり、完全にインターネットでうまれるようになり、リアルな空間は非日常であり、コミケにおける東京ビッグサイトのように、建築がカギになるのではないか。

 

 日本のキャラクターはロボットが特異的であり、それも乗り込むタイプが主流になっているが、それは欧米には理解されにくい。自分をいったん殺すように、大きなものに一体化して社会に関わる、という形のほうがしっくりくる。
 

 ところで、最後に今の日本の言論について、2つしかない。

 1つは、バランスよくしましょう。

 もう一つは歴史を忘れるな。

 正しいし、同意はするけど、ここから何かが生まれない。

 思想を伝えようとして伝わらずに死んで行く、という知識人が多かった気がうするものの、それは、生活を考えていないというのも大きいと思う。

 

 90分、話しきった。

 ノドの強さがうらやましい。

 終ってから、サイン会をやっていたが、だけど、すごく並んでいて、あきらめた。

 

 刺激になった。

 これからの事を考えた。

 

 

 

「カルチャー批評から見る日本社会」

https://www.meiji.ac.jp/koho/meidaikouhou/201406/p12_03.html

 

amzn.to