アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「鳥の歌」高橋宣之。2023.6.29~9.27。フジフィルムスクエア。

「鳥の歌」高橋宣之。2023.6.29~9.27。フジフィルムスクエア。

 

2023年8月26日。

1970年ごろの写真。

 場所は、スペインらしいけれど、光と影がとてもくっきりと強くて、そこに写っている人の存在も強く見える。

 その強さのせいか、写真が物質に思える。

 

『高橋宣之氏が、スペインのサラコザ大学に3年間の名誉留学中だった1969年から1972年、再訪した1977年にサラコザ、バルセロナバンプロナなどで撮影した未発表作品25点を初展示します。撮影後50余年の間、本人でさえ目にすることなく長らく封印され、今回はじめてプリント、発表されることになった数百カットのモノクロ作品群の一部です』(チラシより)

 

 そういう事を知らないと、写真は、そこにあって、それだけの長い時間封印されていたことも、当たり前だけど、全くわからなかった。

 写真は、平気で時間を超えてくる。

 

『1969年の夏の終わり、私はスペインのバルセロナ空港に降り立った。長い旅の果てに、やっと着いたという安堵感と、これから送る海外生活への不安が入り混じっていたのを今でもおぼえている。空港から市街地へ向かうバスの窓からはまぶしく輝く地中海が見え、日差しは強く、風が見知らぬ国の花の香りを運んでいた』(「記憶の風景」より)

 

ハンドアウトには、「記憶の風景」と題されて高橋宣之の文章が書かれている。

 

『あらためて作品を見わたすと、混沌に満ちた独裁政権下のスペインがよみがえる。バンプロナの牛追いの祭り、ロマ、セマナ・サンタの行事、それに人々の営みなどが作品の軸になっている。中でもロマの子どもたちの画像はずしんと重い存在感で私の心に入ってくる。常に迫害を受け、社会から疎外されつづけている彼らに、優しい光が当たる日は来るのだろうか。私が撮影した子どもたちはどんな人生を歩んだのだろう。今となればそれを知るすべもない。私は澄みきった目でカメラを見つめていたロマの子どもを思い浮かべるたびに、胸が熱くなる』(『記憶の風景』より)

 

 当然だけど、記憶も年月は関係ないのだと、改めて思う。

 

 

『NIYODO BLUE』 高橋宣之

https://amzn.to/3rpWB4s