アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「もう一つの選択」。2015.10.17~11.8。横浜市民ギャラリーあざみ野。

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「もう一つの選択」。2015.10.17~11.8。

横浜市民ギャラリーあざみ野。

 

2015年11月7日。

 行ったことがないギャラリーは、それだけで、ちょっとワクワクする。

あざみ野。たまプラーザの隣の駅。気持ち的に遠い気がしていたが、電車に乗ったら、いつの間にか大井町線から急行で乗り換えもしないで着くようになっていた。駅から少し歩く。坂道を登る。金銭的に豊かな匂いのするベンツの大きいマークのある販売所の前にその建物がある。立派で、天井も高くて、無料なのにありがたい感じもするが、出来て10年らしい。

 

 知っている作家は青山悟だけだった。だけど、コミュニケーションをテーマにしているらしいので、見るべきだと思ったりもした。

 最初の部屋。何気ない、という言葉以上に、よく見る光景。写真を撮ったりする時に、普段はカットされてしまいそうな情景。だから、作家の斎藤玲児が撮影しているのだけど、自分も撮影していそうな光景に見えて、その静止画が次々と変わって行く。そして、次の部屋では短い映画のような映像で、生々しいというよりは、リアルで、匂いまではしない感じ。だけど、見ているうちに、生きているって、こういうことを目にしている時間が圧倒的に長いのではないか、と思って来て、どこか何の特徴もないような絵が逆に大事なもののように思えてくる。けっこうじっくりと見ることができた。

 

 次の部屋は一つのスクリーンで、2人の作品を交互に上映している。どちらも30分ほどだから、両方フルに見ると用事に間に合わなくなるな、と微妙な焦りを持ちながら映像を見る。映っていたのは、老夫婦といっていい二人。中国の王坪という若い作家。今年、美大を卒業したばかりで、その卒業制作。両親と旅行に一緒に旅行に行って、それを映像におさめて、作品にしている。海を見た事がない両親を海に連れていく。ただ、それだけのはずなのだけど、両親が60代で、それも日本と比べると、もっと年上に見えて、死の気配がすごくしていて、穏やかよりも静かに近くて、それでも楽しそうではあるけれど、年齢を重ねているから暑いし、疲れるし、という場面も映る。一人っ子でもあり、遅い子どもでもあるから、親がいつ死ぬか、というような不安がずっとあるらしかった。そういう気持ちがすごく切実に伝わってくる。それも、自分の気持ちも率直に語っていて、ここまでずっと一人っ子として育って来て、それでも、微妙な距離があって、という感じもあって、卒業制作といって、旅行も親のお金だし、後ろめたさがずっとあって、海に来たのは、母が死んだら海に遺骨をまいてくれ、と言ってかららしい。

 

 作家の村では、葬式は盛大にしないと死者が迷う、という言い伝えが強いが、母も父も娘が一人でそれをやるのは大変だから、という理由でそう言ったらしいが、今もその両親は夜中に近い朝から豆腐を作り続けている。画面はずっと老いと死が映っているような気もするが、ただ、母親が、最後の方で、海にまいてほしいと言ったけど、あれは、本当は違う。仕事かどこかで、あなたがいるそばにまいてほしい。ずっと一緒にいたいから。という言葉を話していて、老いと死ばかりが映っていると思っていたが、その見ている先には若い一人娘がずっといて、そこには確かに未来があるのだと思えた。最後は両親が海で笑っている瞬間で止まった。素直にいい映像だと思った。

 

 次の作品が、すぐに始まる。今でも過酷といっていいような山に住む祖母の家に訪ねる映像。やはり今年美大を卒業したばかりの若い男性の作品。最初のテロップで、祖母は、息子の一人を自殺で失い、それからタバコを吸うようになった、という内容があって、ただ、途中で見るのをやめたのは、単純に時間がないからだった。義母がデイサービスから帰って来る時間には戻らないといけない。

 

 次の部屋は明るかった。青山悟の作品。小さめの紙に、いろいろな時代のアーティストの絵画作品を刺しゅうしている。この作家は、完成度に驚く、というパターンだったけど、小さくて、しかも美術作品という手仕事を刺しゅうしていると、かわいらしい、という感じが強くなる。ただ、数が多い。壁一面に近い。次の部屋に入ったら、世界地図が何枚もあった。刺しゅうされている。前の部屋から、カーテンのすきまからスタッフの方が声をかけてくれた。一分くらいで明かりが消えます、そうすると作品が変わりますから。暗くなった。世界地図は、大陸の形だけだったのが、国境と国名が見えるようになった。どうやっているんだろう。しばらくたつと、明るくなった。声をかけてくれた人に御礼を言った。

 2階にもギャラリーは続く。かなり広い。映像作品。和田昌弘。面白そうだったけど、あまりにもナルシシストなにおいがして、早めに次の部屋へ。

 友政麻理子。「お父さんと食事」。最初は、実の父かと思ったが、いくつか映像があって、そうではないようだった。詳しくはパンフレットで知ったが、初対面の人と、コミュニケーションを探って行くというような事のようだった。映画を作って、そのドキュメンタリーが映っていて、これも少しだけ見て、自分自身の制限時間になって、帰って来た。この人の作品はもっと見ていたかった。

 時間がもっとあればとも思ったが、見てよかった。

 初めての場所は、よけいに新鮮で、気持ちが積もっていく。

 

 

(2015年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

artazamino.jp