アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「O JUN 描く児」。2013.12.21~2014.3.2。府中市美術館。

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「O JUN 描く児」。2013.12.21~2014.3.2。府中市美術館。


 

2014年2月27日。

 前から見たいと思っていて、ちょっと遠いから少し不安もあったけど、妻も賛成してくれたからコーヒーを持って出かける。予定よりも少し遅れて12時前になってしまう。府中駅に着いたら午後1時過ぎ。ここから歩いて20分くらいと思っていて、歩いて、また歩いて、あれ、というくらいの時間がたって午後1時半を過ぎていた。やけに遠いな、という気持ちと、疲れた感じになっていた。

 

 こじんまりとしていて、ショップも小さめだけど、全体にいい雰囲気の美術館だということを、着いてから思い出した。駅からここに到着するまで、ほぼ誰にも会わずに人が少なくてびっくりしたが、この場所にはけっこう人がいた。

 

 風景画がよかった。色と形がざっくりとしていて、それが全体的にもまとまっていて、目に飛び込んでくるものがあって、魅力的な絵だった。自分の様々な体験とか、毎日の生活とか、そういう中で描き続けて、それが人に見せられるようになっているというのは幸せなのかもしれない。それにしても、これまでO JUNという人の作品は、けっこう古いというか、伝統的な感じだったのが、決して古くなくて、という絵に思えたのが不思議だった。

 

  描き方がゴッホっぽかったり、これ誰かの絵みたい、と思ったりもした。「オリルコ」というタイトルの階段を降りてくる絵は、リヒターみたいと思ったら、妻が日曜美術館で、その絵は監禁されていた女の子が階段を降りてくる、というイメージ、というのを聞いて、そういうジャーナリススティックな要素があったのか、と思う。

 

 チラシの裏には、パフォーマンスからスタートして、(それは時代を反映していると思ったし、それだけ長く作品を作り続けてきたと感じた)「1990年代後半からは、鉛筆、クレヨン、水彩、油彩など、あらゆる画材を動員して、具象的イメージを描きためてきました。そこには画家が住み慣れた東京郊外をはじめとする現代日本の情景が、特異な視点で捉えられています。画面を鏡として、私たちは、自らの心の奥底を覗き込むかのような、深い体験に導かれます」と書いてあって、それは確かにそんな気持ちになった。

 

 カタログも買った。

 帰りはバタバタしたものの、今度来る時はバスの時刻を把握して来よう、と思った。

 

 

(2014年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

 

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