2009年5月16日。
日比野克彦がダンボールで船を作って、さらに、各地で育てた朝顔のタネを運ぶというプロジェクトも続けていて、それらを横浜でもやり、その船を展示しているというのと、金氏の作品をテレビか何かで見たかで、妻も見たいというので出かけた。みなとみらい線が出来てから、東横線に乗ったら、一本で着き、出口を出てから、わりと近くなった。以前は桜木町で降りて、そこからけっこう歩いて、という過程があったから、すごく近くなった気がする。駅について、美術館に入り、ロビーに船が飾られていて、そのプロジェクトを紹介するビデオも流れていて、妻は私より熱心に見ていて、そのダンボールの船はいつものように日比野克彦の作品に見えた。この30年間、どうしていつも日比野の作品だ、って分かるのだろう。
しばらく見てから、金氏の作品を見た。
樹脂のせいか、少しにおったが、しばらくたつと慣れた。
いろいろな日常的にあるものを重ねたり、積み上げたりし、そこに樹脂をかけて、白くしていた。
そういう作品が並び、もっとかければいいのに、もっと床一面も白くしてしまえばいいのに、と勝手な感想が浮かび、壁には白地図や塗り絵をコラージュしたものが貼付けてあった。どこか大竹伸朗のことを思い出した。
絵画は、どこかオシャレな感じもある。大きなスクリーンでのアニメもしばらく見て、面白かった。
木を使ってプラスチックのいろいろなモノを組み合わせて、小さな森のようなものにしてある作品が、一番しっくりきている気がした。スタイリッシュなたたずまいにさえ見えて、それが写真などで見た作家本人の感じとスゴく近いように思えた。
フィギュアの髪の毛をだけを集めて、それを別のフィギュアに貼付けている作品もあって、それは、髪の毛だけで組み立てた方が面白かったのに、などと思ったけど、実際にそれは成立しないかもしれない。
最後にいろいろな入れ物に白い樹脂(?)を入れて、それを並べてある作品があって、それは大きい作品だった。
偉そうな観客の言い方になり申し訳ないのだけど、作家は、力を全部を出していない印象だった。
コンセプト、みたいなものがまだ先行している感じがする。だけど、そのために、認められてるのが早かったのかもしれない。
もっと出せるんじゃないか、と思った。
まだ30歳だから、続ける事でもっとすべて出した作品が、これから出てくる可能性もあるので、また見たい気持ちはした。
カフェの中のテレビがあって、そこでは金氏がしゃべっている、この展覧会のためのプロモーションビデオみたいなものが流れていたので、何回も同じ映像を見た。
その中で、理解しなくてもいい。という言い方をしていた。さらに何度か、森の中を歩くように、という例えを使っていたけど、自分自身が、森の中は歩いたことはないから、理解できなかったのかもしれない。
午後4時過ぎには家に帰ってきた。
出かけてよかった。
アートは見ると、いろいろな事を感じ、思い、考えたりして、何か違う気持ちになれる。
(2009年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。